想いを馳せるということ。

9月もおしまいです。
今月、ここに載せたかったお話で
抜けちゃってることがひとつ。

「その時」に載せなきゃねっていうことなんだが…

今月、半ばごろ。
長野県児童福祉施設連盟の役の皆さんと自民党県議団との
新型コロナウィルス感染症対策懇談会なるものが開催され、
私も呼ばれて行ってきました。

自粛期間中の子どもたちの困難っぷりやマスクや消毒の入手困難っぷり、
体調不良や発熱の職員をいつも以上に警戒して休ませたときの回らないっぷり、
それでも県などの手配でマスク等を手に入れることができたことなど、
いわゆる通り一遍なお話がなされておりまして。

私はというと、議員さんが目の前に10人ほど並んでおられ、緊張もあり、
なんだかぼんやりとした時間を過ごしていました。

会も終盤に差し掛かった際、一人の議員の方が
「コロナじゃなくてもいろいろたいへんな課題を抱えていると思われ…」
的なお話をされました。

「コロナじゃなくても…」

コロナ禍の渦中において、という趣旨の懇談会で、
いろいろなしんどさや困難さを報告させていただいているなか、

「それって平時でもたいへんなんだよね、
 コロナで浮き彫りにはなったけど、
 日々そんな困難さと向き合ってるんだよね」

っていう理解をその場で示していただいた議員さん。
つい嬉しくなってしまいました。
これが、想いを馳せるっていうことなんだなぁ、と。
と同時に、
僕らの仕事は対人援助職と呼ばれるもので、
声なき声、声を上げるに上げられない人々の声、
しんどさを抱えた子どもたち、などなどに

「想いを馳せる」

ということがちゃんとできなきゃいかんのだな、
と、改めて思った次第でございます。

少なくとも、その議員さんには
僕らの想いが通じたな、と。
ありがとうございました。
これを機に、このコロナ禍を機に社会的養護、
社会的養育が必要な子どもたちへの関心や理解が進むといいな、と。
そうであれば、このコロナ禍もただただ忌むべきものではなくなるのか、

とまで言ってしまえば、ちと言い過ぎかな。
ではまた来月。

えんちょう。

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